明日できることは明日でいいのです!

カサンドラ症候群でも幸せになりたい

破滅の終わりまで・・・

破滅9日目

ずっと、再発(=働けなくなる状態)ではないと

どこかで思いたかった、認めたくなかったが、もう限界だった。


かかりつけのメンクリへ、急遽予約を入れて緊急受診した。

 

うまく話せる自信がなかったので、

事前にノートに伝えるべきこと、伝えたいことをびっしり書き出した。

 

不眠が出始めたのは、3月下旬から時々だし、

4月にはわりといつも、5月には眠り方を忘れたと思ったこと

頭痛が頻発し、片頭痛と言われて薬を飲み始めたが結果的にそれがよくなかったと思うこと

胃が痛くて、毎日下痢もしていること

今は腸が動くことすら痛くて何も食べられないこと・・・

 


ここでも号泣した。

 

薬を3種類追加することになった。

 

確認しておきたかったことは傷病手当金医師意見書の件。

 

1回目の休職時に、1年6ヶ月を満了していた。


前回とは別の内容として書いてもらうことはできるか?

 

結果的にOKだと言われた。


というのも

実際に職場復帰していたし、薬の量も最小限になっていたので

一度、ほとんど治った状態で再発防止・・・くらいまで落ち着いたが今回再発した、

という内容で書いてくれるとのこと。


やはり経済的な部分はどうしても考えちゃう。

 

けど、これで少し安心して

破滅していることができる(日本語がおかしい)

 

メンクリから帰宅後

「お母さんはうつ病で、今すごく具合が悪い」

と子どもたち(下2人)に、本格的には初めて告げた。


自分でできることは自分でやってほしい と言ったら

まずはその場で山になっていたペットボトルを片付け始めたので

感動してちょっと泣いた。

 

言ってはいけない

わかってもらえない

と思い込んでいたのは自分のほうだったんだ。


家族であっても、言わないと伝わらないし

言っていいんだよ

と思ったら胸が熱くなった。


ついでに、子どもの成長を感じたのも言うまでもなく・・・。

 

たくさん泣いてスッキリしたのか、

ものすごい久しぶりに、この日は自然と眠気が来た。

 

薬が増えたせいで、案の定しばらく余計に具合が悪くなってしまったが

まぁ予想していたことだし、許容範囲だと思った。


薬が増えた後って、二日酔いみたいな状態になるよね。

・・・まぁお酒なんて15年くらい飲んでないけど。

 

ただ、翌週には

義父がそろそろ危ないかもと言われて

今だったら、ちょっと私が無理かも・・・と思った。


それでも、自動的に喪服のチェックをしてしまった。

私の喪服は、ここ数年で太ってしまったので昔のはサイズが合うはずもなく

けど、今年の初めくらいに、虫の知らせで買ったほうが良いって気がして

お買いものマラソンかなんかのついでに買ったばっかりだった。


下の子2人は制服があるけど、長男は大学生なので制服はない。

1つ、入学式や就活やインターンシップなど用にと買ったスーツが黒なので

買い足すのは、白いワイシャツと黒ネクタイなどの小物と

私の黒い靴(ぺったんこの)が欲しいなと思って買った。

こういう時、女は冷静で怖いよね(笑)

ちなみに末っ子の嫁です。

 

体調は良くなったり悪くなったりで、

まだ今が底かどうかわからなかったが

 

明け方に家のトイレで迷走神経反射にもなったのもこの頃。

過呼吸になると手足もしびれて

歩くことも起き上がることもできなくなってしまった。


誰も助けに来てくれないので

陣痛を思い出して、息を吸うことは考えずに、とにかく息を吐く、吐く、吐く。

体の中の多すぎる二酸化炭素を追い出したら

手のしびれがだんだん減っていくのがわかった。

 

けど、この時が底だったんだろうなとあとから思った。

その翌週には

だんだんと体調が上向きになってきたと感じる。


少しずつ、できることが増えていき、頭痛や下痢の回数も減っていった。

 

体重の減りも51kgでストップした。

体重だけ見ると、決して痩せているとは言えないが

減り方に注目すると、少し急激に減り過ぎてしんどかった。


とはいえ、

体重って、減るのが嬉しかったりするよね・・・(オイ)

 


危ないと聞かされてから3週間後、

義父が亡くなった。


私は、なんとか葬儀に出られるほど体調はよくなっていたので

待っていてくれて有難いと思った。

コロナ禍のおかげで、家族のみで一日葬になったのも、少し助かった。


葬儀では、化粧が大変なことになるくらいガチ泣きしたけど

泣いてよい場面だったので思いっきり泣いた。

(マスクの予備は必須ですぞ)


泣きすぎて、水分不足で足がつったのにはちょっと笑えた。


義父を見送ってから

「やりたいと思ったことは、やってみたい」

と思うようになった。

 

 

ここまでお読みいただいてありがとうございました。

 

このあたりで2022年7月、約1ヶ月に渡っての破滅は

ようやく一旦終わりとなったと思います。