明日できることは明日でいいのです!

カサンドラ症候群でも幸せになりたい

この破滅が終わったら・・・

死亡フラグみたいになってますけど(笑)


私の社会復帰の課題についての話。


うつ病と診断されてからすでに約12年が経過していた。

 

よくなったり、悪くなったりを繰り返しながらも

働くことができる時もあれば、

ひどく消耗することもあり、

この時点で2回目の休職を余儀なくなれたところ

 

この数ヶ月で、「うつ病だけじゃないのかもしれない」そう思うようになった。

 

大人の発達障害ってよく話題になっていて、

聞いたことはあったけど、詳しくは知らなかった。

 

初めてよく知ったのは「Shrink~精神科医ヨワイ~」ってマンガを読んだ時だった。

 


あれ・・・?

私ももしかして発達障害? って思った。


空気が読めないとよく言われる

けど、自分では何を悪く言われているのかわからない


どうやら、自分の考える普通と、相手の考える普通がずいぶん違うようだ・・・


聴覚が過敏でうるさい環境で集中するのが難しい

知能に遅れは特にないので、大人になるまで生きづらいながらも来てしまった

セルフチェックでもあてはまることは多かった。


そして、

破滅初日にF氏から言われた

「そんなんじゃどこに行っても同じことだよ。

まわりとうまくやっていけないよ」

って言葉が、ずっと頭の中をリフレインしていた。

 

別に、ふざけて仕事をしているつもりは一切ない。

自分に悪いところがあれば直そうと必死に努力をしていた。

 

けれども、

ちっともうまくいかず、結局自分がメンタルを病んでしまう・・・

これ、本当にただのうつ病


破滅開始後に2回目にメンクリにかかった時、

自分なりに今回の原因は?みたいなことを聞かれて

「私はもしかして発達障害ですか?」

と言った。

自分の考え方や物事のとらえ方のクセは、もちろんあるけど

それ以外にもっと根本的な原因があるのでは?と思った。

 

そしたら、

とりあえず次回に、幼稚園や小学校時代の通知表など、小さい時の所見が書かれているものを持ってきて

と言われた。


小学校の通知表「あゆみ」は手元にあったので

小・中・高を全部出してみた。


もう、自分で笑った。


小1 教科書を忘れる、落とし物が多い、話を最後まで聞かずに始めて間違える

って書かれていることは、相当頻度が多かったのだと思います。


小2 おおらかでありましょう。忘れ物が多い、作業はすばやいが丁寧さが足りない

小3 理解力思考力はあるが集中力に欠けて力を発揮できていない、感情的になる、人の話を聞かない

小4 言葉遣い、思いやり、足りないよー、係の仕事は気が向いた時だけやってるよ、

小5 期限の良い時と悪い時の差がありすぎる、授業に集中してないよ、計画的にやろうね、

小6 話し合いを大切にしてね、周囲に不愉快な感じを与える言動はとらないでね、

 

医者によると、小学校低学年くらいの時は、比較的書かれることが多いらしんだけど

たいてい中学年くらいになると落ち着いてくるらしいです。

私はそうではありませんでしたね。


続く中学でも

友人に思いやりを

能力はあるのに十分に発揮できていない

などと書かれていました。


高校も見せましたが、高校は併願校に進学したので学力は上のほうで当然、

先生の所見はあまり書かれていませんでした。

 

これらを踏まえて、

心理検査を2種類やる、と言われました。

(ちなみに健康保険が効きました)

 

その結果は、

ADHD傾向はあるが、はっきりそうですとは言えない状況。

衝動性が強ければ抑える薬もあるが…と言われたけど

「これ以上、薬を増やしたくない」という意思を伝えると

医者は少し不機嫌になった気がした。

 

そして、今後、どうしていきたいのか?を考えた。


私は障害者手帳を取得しようかな・・と思いました。


手帳を取得すると障害者になるけど、

それを外に出すかどうかは任意であること、

持っているとメリットばっかりあるし・・・

 

じゃあ、仕事をどうするのか?

この時点では辞めたわけではないが、

今後は障害者枠で働くのもいいかなと思った。


出世がないとか言われるようなデメリットも

私もしょせん若者ではないおばさんだし、今までも最低時給に毛が生えたような金額で働いてたから

あんまり変わらないかも(笑)

 

自分の特性をまわりに伝えたうえで働く

・・・というか、

もうそうしないと限界だなと思った。


1回目の休職から復帰した時に

K氏よりも上の人たちはもちろん、

現場責任者であるF氏も、知ってはいたけど、

一緒に働く現場のお姉さんたちは知らなかったし

F氏は現場を把握してなかったし・・・

 

うつ病をオープンにするってことは

雇ってもらえない、とか、クビになる、とかを想像していました。

だから言わないでいた・・・といってもウソではない。


しかし実際のところ、どうやら違うようだ。

その人がどんな人間か、は、話してみたり、仕事ぶりを見てもらえたらわかる。

うつ病を隠すことで自分もまわりも苦しいし

まわりは「言ってくれればよかったのに」と思っていると思う。


言えば良かったなと今は思ってるけど、

どこかで「察してよ」って思ってしまっていたのと、

やはり言い方がわからなかったんですよね・・・

次こそは、自分の状態をしっかりと開示して…というのは早い段階から思っていました。


でも、同じ会社に戻るかどうかは、正直わかんないや。

というのも、

「休職が半年間延長になった」という連絡をしたら(最初は1ヶ月とかで診断書をもらっていたので)

 

「今後どうしたいと思っているの?復帰したいの?やめるの?」

って聞かれたから。


は?それを考えるための休職なんじゃないの?

 

それをうつ病で破滅中の人に聞いちゃう?


事務的な話になっちゃうけど、
私が入社したのは実はここではなくて、別の拠点で、
でも前の休職から復帰するときに
違うところへ行きたいと希望して、異動しました。

けど結果的に前の拠点は統廃合でなくなってしまったんだけど。

入社した時に対応してくれた拠点の皆様は本当にいい人だったんだなって思う。

今のは・・・正直ダメだ・・・

ま、事務所ってそういうもんだけどさ。

 


まぁ・・・

12ヶ月までは休職する権利があるのが労働者の権利なので、
(そうは言わないけど)
言いなりになる必要はない。

 

12ヶ月休んでから、復帰できません、辞めます、でも
違法ではないのだ。
(迷惑な奴だとは思うけど)


なので、

その話は一旦置いといて。


傷病手当金を受けながら、専業主婦のような生活をしていました。。

家族以外とは、言葉で会話してない。

たまにお店の店員さんと話すくらいかな。

まだまだコロナ禍でもあるし、なかなか人と会いにくいよね。
私語は控えめにとか言われちゃうし。


でも、こんな生活が許されるかというと、

一番許してくれないのは、やはり経済的な問題。


何しろ、子どもは3人
しかも私立文系大学生(下宿)、私立高校生、そんで中学生と
エンジェル係数がとんでもない家計だからです。


それでいて、
実は旦那は定職には就いていないという
なんとも恐ろしい状況。


冷静に考えるとすごい状態だよね(笑)
うん・・・意外となんとかなるんだよ、なるようになるんだよ。


なので

少しは踏ん張りが効くので、今はこれでいいとしても

ずっと働かないでいるわけにもいかないのだよ。


この夏が終わったら学費の支払いもあって

きっとそこで一気に現実を叩きつけられるね(笑)


前と違う会社かどうか、

正社員ではないと思うが、パートにしても
扶養から出る程度にするのか、扶養におさまる程度にするのか

その辺は予定は未定だけど、

外で働くのにトレーニングは必要だとは思っています。


また医療リワークに通うことになるかなって思う。

そのことは主治医にも伝えてあって、

じゃあいつから? 的な話になってる。


リワークに問い合わせしようと思ったけど、ちょうどお盆休みに入ってしまった。

だから、
このお盆休みが明けたら
現実と向き合わないといけないんだよな・・・と。

私にとって社会復帰は、

この辺が課題になりそうだと思いました。

これが2022年7~8月のできごと。
(全然追い付かないなぁ・・・)