明日できることは明日でいいのです!

カサンドラ症候群でも幸せになりたい

性格的傾向とうつ発症の前後

私の「うつ」エピソード前編

 


私にとって「うつ」とは何だったのか?

今までのエピソードを振り返ってみたいと思います。

何しろ12年間分あるのでめちゃくちゃ長いです。

何本かに分けてになります。

お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

最初に基本的な性格について触れておきます。


血液型がB型なので、決して「まじめ」とは言いません(笑)

 

・熱しやすく冷めやすい

熱することにはとことんハマっていき、それが仕事だったりすると

めちゃくちゃ仕事に意欲がある人に見えているかもしれません。

本人は熱してるからやってるだけなんだけど・・・

 

・負けず嫌い

自分は姉と2人姉妹で、やはり何かと姉と比べられて育ってきたような気がします。

そうは言っても、自分が親になると、同性の2人目って上はどうだったのか?無意識に考えてしまうから、その気持ちもわからないでもないんですが

「あなたはその段階ね」みたいに言われるとムカっとしてしまうのはあると思います。

 

姉妹って、永遠に追いつけない追いかけっこのように思えました。

(もちろん、扱われ方次第で、そう感じるか・感じないか、はあると思いますよ)

私はいつも、いつまでも追いつけない立場。

といっても、その追いかけっこに勝ちたいと思ってるワケじゃないんだけど、

見下されて育ったような記憶もあるので

もしも私が追いかけっこをやめて、違うことをやっていたとしても、

「追いかけてきなさい」って言われ、走らされているようにも思えるんです。

 

ちなみに私が姉に初めて勝ったと思った(?)のは、26歳で先に女の子を産んだことくらい。

26歳まで姉に勝つ(?)ことはできなかったと思っていました。

勝ち負けって何でしょうね・・・?

 

・欲張り、ケチ、善か悪か。

と言うと傲慢な人に思われてしまうかもしれませんが、

欲張りなのは悪いことじゃないと私は思います。


よりよくしたいと思うのは普通のことだし、向上心があってよいとも思うし。

ただ、いきすぎると自分を苦しめることになるので「そこそこ」を認めることができるといいなと思います。

 

・いきすぎた節約?

節約主婦と名乗ってきましたが、ケチと節約のボーダーは明確ではなく、私はどうやらケチの部類だったようでした。

お金を節約することが第一位になってしまい、結果的に失うもの(時間、健康など)があったら、それは節約とは言わないと思います。

でも、私は「お金がかかることは悪いこと!」と思ってしまう節があって

これもまた自分を苦しめる要因だったと思いました。

 

・まわりを気にしすぎてしまう。

長年(2000年12月~2016年3月)、転勤族をやっていたこともあって

出来上がっているコミュニティにお邪魔して、なるべく浮かないようにとか、子どもの立場が悪くならないようにとか、

いろんな世界を知っているからこそ、余計なことにも気がついちゃって、

めっちゃ疲れる。

よく頑張ったと思いますよ。

 

・転勤族

転勤族しながら子どもを3人産み育てて、とにかく無我夢中な20代を過ごしました。

そうは言っても、望んで若い母親になったので、自分の家族を作っていくというのは楽しかったし、幸せなことでもありましたし、

感謝している部分もたくさんあります。

 

とはいえ、良いことばかりでないのも事実。

そこへ

「子どもを産み育てていけることは幸せなことなんだから、辛いなんて言わせない」

みたいな考えはちょっと危険ですね・・・。

 

 

 

うつを発症した当時は、私は32歳になっており(女の大厄!)

子どもは小2、幼稚園年長、2歳でした。

 

大きな引き金が1つあったと自覚していて

それが2011年3月11日の東日本大震災でした。

 

千葉県に住んでいた私の家は震度5強に見舞われて、被災こそしなかったものの

テーブルの下で子ども2人を抱えながら、今まさに帰宅した長男は玄関で立ち往生していて、私も彼も動けない状態を4分ほど過ごし、

どんどん揺れが強くなっていく様に、このまま家がつぶれてしまうのでは?という恐怖を味わいました。

 

揺れがおさまったら、家中のあらゆるものが落下してめちゃくちゃになっていて、

冷蔵庫が横に10cm動いていました。

 

手が2本しかないのに子どもは3人。
どうやって子どもを守るの?
そんなこと言ってられない、私がしっかりしなくては!

近所の家は瓦が落ちたり、ブロックが崩れたり。

 

そして、情報を得るのにテレビを見なきゃいけないと思っていた当時は

もう行き過ぎた報道で気が滅入るような情報を目にし耳にし、

それでも計画停電をするとかしないとか、じゃあいつするの?みたいな感じで

まぁ混乱していたから仕方ないとは思いますが、

どんどん視野狭窄に陥り、サバイバーズギルドみたいなものを感じるようになっていきました(もちろん当時はその自覚はなし)

 

家族も無事、家も無事だったんだから、愚痴なんて言ってはいけない

みたいに思ってしまったんですね。

 

4月頃から体調に異常が現れはじめて高熱が出たり、どんどん痩せたりしていきました。

 

育児中って、うつの症状がわかりにくいと思ったのは私だけ?

 

眠れない→子どもの夜泣きが・・・

 

食欲がない→子どもがご飯中に騒いだりして母はゆっくり食べられないし・・・

 

イライラする→子育て中は常にイライラ?(笑)

 

不安→子育てに不安はつきもの

 

判断力がなくなる→子育て中は迷いながらしていくものだと思う

 

こんなカンジに、病的な症状なのか、普通のことなのか、わかりにくいまま、

まぁ結果的に病的なものだったんですけど、早期発見はできないままどんどん悪化させてしまいました。

 

この頃、私は喘息(と思われるもの)があって、

大学病院の内科にかかっていたのですが、

そこの主治医に紹介されて、同じ病院の精神科・心療内科にかかることになりました。

 

しかし、そこの最初の医者はとんでもなくてね(笑)

 

 

まず受付がトロくて

一度座れと言われてから、呼ばれて受付まで行くと問診票を書けと渡され、

それを出して座ってから、また呼ばれて今度は心理テストのようなものを書けと渡され、

(スムーズにしてほしい!しかも待合い席は椅子取りゲーム)

なのにそれを書いている最中に医者に呼ばれたし。

 

 

医者は男性でおじいちゃん先生。

喘息発症から今までのことなどを聞かれ、心理テストは見ずに

「どうしようか?せっかく来てもらったし。じゃあ漢方薬でも飲んでみるか」

と言われて、

 

「副作用は出ますか?」と私は必ず聞く。

「あまり聞いたことがない」

と言われましたが

「私、そういう薬でも副作用が出るんです」

とは言いました。

まぁでも、医者が大丈夫と言うのでそれを信じることにしましたが。

 

家に帰って、薬飲んで、昼ご飯を食べてしばらく

お腹が痛くなり吐き気がしてきた・・・でも何も出ない。

 

急に激しいめまい、頭痛、動悸などが現れて、何をしても横になっても楽にならない。

明らかに薬の副作用だと思いました。

飲んでしまったものは仕方ない・・・で、片付けられるレベルじゃない!死ぬかもって言ったら大袈裟?

 

もう1回病院に行くことにした。

漢方薬ですよね・・・?・・・あまり、そういう症状は出ないはずですが?」

 

すごく具合が悪いからと言うと

「じゃあそれとは別に何か内科的な問題があるかもしれないから救急外来に来て」

と言われました。

 

 

なんとか病院に連れて行ってもらって、

内科医は話を聞いて、お腹を診察して

「問題ないですね」

 

お腹痛いようだったら痛み止めも出しますよ?と言われたけど

これ以上副作用出たら困るから断りました。

「このまま帰りますか?休みますか?点滴しますか?」と質問攻めにされたけど

とりあえず帰れる状態になかったから、休むことになった。

 

ベットで寝ていると「採血しますか?レントゲン撮りますか?心電図とりますか?」

なんじゃそりゃ、アンタ医者だろ。

結局全部やることになったが、

「こんなに具合悪いのに誰も信じてくれない、今日の昼まで、元気だったのに・・・」

って涙が止まらなかった

 

その場で採血と心電図をとり、車椅子に乗せられてレントゲンを撮りに行った。

 

でもその途中・・・ふっと具合の悪さがなくなった。

まるで、自分の中の悪霊が消し去られたように、呪いが解かれたかのように。

あまりに突然で、自分でも何が起こったかわからなかった。

 

 

検査結果ももちろん異常なし、

帰りぎわに、「もしかしてパニック障害ですか?」って聞いたら

「お腹が痛かったんでしょ?なら違うと思う」だって。(注:そんなことないと思います!)

 

病院って

苦しいことを助けてくれる存在じゃないのか?

すっかり病院不信になってしまいました。

 

 

けど、こういう時私は「相手に非があれば認めさせたい」みたいに思ってしまうので

次回から違う医者になることだし、通院は継続することにしました。

 

 

2回目からの医者は、前回の心理テストの結果をちゃんと見てくれて

あなたはうつ状態、休養が必要な状態です、

とにかく薬の力を借りてでも眠ること

と言われて、

 

睡眠導入剤ロヒプノール1mg)を飲む生活がここから始まりました。2011年6月のことでした。

 

もちろん副作用が出て、気持ち悪くて寝たきりになってしまいましたが、

結果的に休むことができるようになってるんだなと、後から思う。

けど当時は、家事育児ができなくなるのは困るわ、みたいに

自分で自分を休ませることを許可できなかったんだと思いました。

 

体重は30kg台しかなく、洋服も子供服の140が入ったほど。

 

 

ちょうどその頃、賃貸更新の時期となり、家賃を下げてもらえないだろうかという交渉をすることになりました。

 

・・・しかし、これがまた管理会社がアホで(アホなのは事実)

家賃交渉から家賃紛争にといっていいほど、

んじゃーこっちも法律勉強してやろうじゃん!

 

もともとの節約とケチのボーダーが、って性格が先頭に出てきてしまい、

管理会社との、もはや喧嘩に全力を注ぐような日々になってしまいました。

ここぞとばかりに日頃の恨みなんか出てきてさ、

今思うと、恥ずかしいことをしたもんだ(笑)

 

 

ちょうど夏休み。

もう子どもの奴隷のようにヘトヘトになりながら(旦那はサービス業なので夏休みはワンオペになる)

家事育児をし、

文字通りフラフラになって予約日に受診すると、

その時はもうまっすぐ歩けないほど、ほとんど眠れていないし、全く食欲がなくて激痩せしているし

判断力も大幅に低下、涙も止まらなくなる状態で

 

その場で抗不安薬デパス)を飲んで、寝かされることになりました。

確か採血をして、栄養失調状態だからと点滴をすることになりました。

 

点滴を受けながら処置室のベッドでギブアップすることを決意しました。

 

2歳の末っ子を保育園に預ける決心をしたのです。

真ん中が幼稚園に通っていたので、幼稚園と保育園ダブルになってしまうなぁとか

いろいろ悩んでも仕方ない!!

 

ここで私は敗北宣言をしたと感じました。(うつって勝ち負けじゃないのにね)

 

抗うつ薬リフレックス15mg)を飲み始めました。

食欲がバカみたいに出る。ご飯だけで3杯食べたり。

でも激痩せがマシになった。

 

まだまだ序章なんですが、すでに長くなってしまったので次回に続きます。