明日できることは明日でいいのです!

カサンドラ症候群でも幸せになりたい

うつ病でも子育て中は休めない

前回は性格的傾向とうつ発症の前後のエピソードを振り返りました。

今回もその続きで、今日もかなり長ーいです。


魔の2歳児の末っ子を保育園に預けて、子育てを手伝ってもらうことを決意し申し込んだのは2011年9月。

満2歳は、1歳児クラスになるので激戦ではありましたが、

10月から第一志望の認可保育園に入園許可がおりました。

 

しかし同じ日に、旦那に辞令が・・・

いわゆる天災型転勤族をやっていたので、辞令は新年度とかではなく本当にいつも突然です。

こういうことを繰り返してきたから、シワが寄るんだよなと思ったよ。

 

けど、アホな管理会社とはここでおさらば。

 

問題は、転勤は10月、娘は幼稚園の年長だし、なんとか卒園させてあげたいと思ったり

せっかく保育園に入れることになったのに、

ってことで

 

引っ越しは年度末まで延ばしてもらい、

それまで旦那は片道3時間通勤をしてもらうことになりました。

 

・・・なりましたが、

旦那が夜は帰宅できない日は、漫画喫茶に泊まったりすることが多くなり

(お金もったいね~)

 

夜を1人で守ることも増えて、全然気が休まりませんでした。

 

余震も結構あったしね。

 

 

そしてこの頃、胸が痛くなる出来事がありました。

震災で十分胸が痛くて、これ以上は勘弁してくれと思うくらいですが。

 

わが子が通っている幼稚園で

幼稚園バスが、園児の下の子をひいて死なせる事故がありました。

 

その時、私にもチョロチョロする魔の2歳児がいて、

子どもがいる危なさや怖さが身に染みてわかり

かといって、全く片時も全員から目を離さないなんて、物理的にできるわけもなく

今まで生きてこられたのは奇跡だと思えるくらい

ひかれる側の状況とかが、他人事とは思えなくて。

 

けど、

運が悪かった、で片付けられる問題ではない。

 

幼稚園はすぐ近所で毎朝2回、園長先生たちに会っていたし

300人以上いる園児に毎朝挨拶して

子どもが好きで幼稚園やってます、というのがよくわかる様子でした。

 

でも、運転手は逮捕されて、幼稚園は加害者となり

その後の詳しいことはよくわからないけど

園長先生はそれ以来、黒い服しか着ていませんでした。

 

事故後に説明会がありましたが、

いつも元気な園長先生が、一晩泣き明かしたような声で「おはようございます」

その声を聞いただけで、緊張の糸が切れたように泣き出すお母様方多数(私含む)

 

園長先生はいつも子供たちのために必死になっているのをずっと知ってるから、

こんな、幼稚園に特別な過失があるワケではないのに、それを背負って生きなければならないなんて、本当に気の毒でならない。

 

「親がちゃんと下の子を見ておけ」と言うのは簡単でも、

ほんの一瞬、目を離した瞬間だったのかもしれない。

 

もう起きてしまったことは戻せない、失った命は戻ってこない、

母親も一生自分を責め続けるでしょう、

 

でも母親ひとりで子どもを複数見るというのは、絶対に一瞬でも目を離すなというもの無理があることもとてもわかります。

 

それに、この当時園児だった子も、

幼稚園児なら自分に妹がいたことは、わかっていると思います。

ある日突然、妹は血だらけで動かなくなってしまい、

黒い服の集団に囲まれて

それ以来、妹に二度と会えなくなってしまい・・・

私がバスで幼稚園に行かなければ、と思ってしまうかもしれません。この子の心のケアも非常に心配です。

 

運転手は何らかの刑罰を受けたとしても

亡くした子は二度と戻ってきません。

 

 

この事故は、別に知り合いの子ではなかったんだけど、

とても他人事とは思えず、その日からデパスも欠かせない状態になってしまいました。

 

ようやく保育園に入ったのに、心休まる暇がない。

 

さらにはある日

真ん中の子を幼稚園に迎えに行って、園庭で遊ばせている時に

「あれ?下の子は?」

とほかのママに聞かれて

 

娘が「弟は保育園に行ってるの」としゃべってしまい

「どうして保育園入ったんですか!?」

 

「まぁ、あのー、本当のことを言ってしまうと、自分持病があって

医者に頼んだら診断書を書いてくれたので、病気理由になってます。

それで申し込んだら入れたので・・・」

って感じに言いました。

働いてないのは、すぐバレるし、求職中なら1ヶ月以内に仕事しなきゃダメなワケだし。

 

なんでこんなことを言わないといけないんだろう?

幼稚園ママってみんな暇なの?(暇なの!)

 

そんな話をしている最中に

娘がケガして頭から血を流して病院に行くハメになったり(実話)

 

今となっては笑えるくらいに気が休まる暇がなかった。

そりゃ病気にもなるわ。

お祓いでもしたほうが良かったんじゃ?

 

ようやく少しは自分の時間が持てたと思っても

もともとが欲張りな性格だし、もう8年間も常に子どもがいる生活だったから

あれやりたい、これ買いたい、なんぞやってわざと忙しくしてみたり

引っ越しの準備をしたり、で

あっという間の半年を過ごしました。

 

いざ引っ越しですが、

この時、初めて「自治体を選びました」

 

保育園の入りやすさを3番目くらいに重視したの。

 

1番目は子どもの医療費は何歳まで無料か?

2番目はゴミ袋は有料か?

3番目が保育園の入りやすさは?

という感じでした。

 

なので選ぶことを決断できたというのも大きな進歩ではあったものの、

責任感が伴うことなので、これで良かったのか?と悩んでしまったり。

 

幸い、今度は3ヶ月待機しただけで保育園に入れました。

上の2人は小学生なので、小・保の2つにおさまってくれて、少しはゆっくりできたか?

 

 

しかし・・・

保育園では、どんな理由で入園したかはまず聞かれないが、

暇人小学生ママは

「下の子はいるの?何歳?どこ幼稚園?保育園?なんで?働いてるの?」

の質問攻めは参った。

 

この質問に於いて、私は本当のことは答えなかった。

何故なら、当時わが子も、私の病気について知らないから。

精神病=頭のおかしい人、といった誤った解釈を他人に刷り込まれたくないから。
(実はそう思っていたのは自分自身だった)

もしくは、逆に気を使ってほしくなかったから。

気兼ねなく、うちに遊びに来て構わないけど、

○○ちゃん家はお母さん病気で大変だから、とか思ってほしくなかった。

 

 

それに

保育園って、朝、子どもを送って別れるときに

 

「いってらっしゃい」と言われるんです。

 

そりゃあ保育園に子どもを送って、親は仕事に行くのが大多数なので、

仕事に行ってらっしゃい、とね。

 

 

けど、私は仕事に行くわけじゃないのに、保育園使っていていいんだろうか?なんて後ろめたさが出てきちゃう。

 

結局、

旦那の給料が月5万下がる・・・かもしれない

 

という話があって、私はパートに出ることにしました。

 

週3日、ランチタイムのみファミレスの厨房で働き始めました。

 

・・・というか、

採用が決まったときに、まさか結節性紅斑で入院までしました。

よせばいいのに、退院後すぐに働きはじめちゃったんですよね~・・・

 

んで、

この年は上の子2人とも担任は新任教師だったり、

 

長男は学校で骨折したり、

 

自治会で班長をやってたり、

 

本当にもう「毎日が障害物競争」という言葉がピッタリでした。

 

仕事の条件は悪くなかったし、主婦の経験が生かせるし、

堂々と行ってきますと言えるようになったり

いいこともあったけど、

 

やっぱりどこの世界にも必ず1人はお局様っているんだよね・・・。

 

 

私の場合、仕事がうまくいかなくなるのは決まって人間関係。

 

お局様は、ぶっちゃけダメ出ししかしない、

遅い遅いと連呼して、早くやったら雑と言われて、理不尽。

 

自分のことは棚に上げて、粗探しばかりする悪趣味。

ネチネチとイヤミばっかり。

 

ある日、

私のせいではないが、まだ準備ができていないうちにオーダーが多数入ってきて

お局は店長とかに「遅くてすいませんね」などとネチネチ言ってて

ついに私は堪忍袋の緒が切れたよ。

 

ちょうどその日、別の店舗で「厨房での私語がうるさく不快だ」というクレームがあったという通知があったんです。

 

だから

「○○さん、うるさいですよ。

オーダー入ってるんだからお客さんに聞こえますよ」

と言い放ちました。

 

 

そしたらお局様は、私が帰ったあとに憤慨したそうで、

辞める気ないくせに、もう私は辞める!って騒ぎだして

ベテランに突然辞められたら困る店長たちはお局を引き留めて

私のシフトを削るという手段に出ました。

 

私はランチタイムの3時間半拘束の1時間休憩、まさかの日給2,000円台。

 

こんな目に遭ってまで、何のために働く?

 

体調も次第に悪くなっていき、5ヶ月でパート辞めました。

その間のお給料は18万でした。

 

あれだけ苦労しても、

たいして稼げないんだ・・・出ていくお金のが多いんだ・・・

だったら、働かないほうがマシじゃん。

って思った。

 

ちなみに、

旦那の給料は・・・・、下がりませんでした。オイオイ

 

 

このとき学んだことは

 

・世の中にはいろいろな人がいる

 

・お金を稼ぐのはラクじゃない

 

・調理、清掃、洗い物の作業効率アップ

家事に役立ちました。他にも連絡方法など、業務用を拝借できるところは家でも利用してます。

 

・働きながら、今までの生活水準を維持していくことは相当大変であること

(私の給料はほとんど赤字補てんだし)

 

・サービス業はどこも苦戦していること

(日本の経済の話)

 

・・・で、

パートを辞めたあと、カウンセリングを受けました。

医者からの勧めもあり、病院でやってるけど、自費のやつ。

 

カウンセリングに期待することは何か?

と最初に聞かれたとき

「良い実績が欲しい」と言いました。

 

自分で思い立って、なにかをやろうとしたときなどに

いつも何かしらの邪魔が入るので(9割がた転勤ですが、子供に関するイレギュラーなことも含めて)

 

何をやっても思い通りにはいかない

(思い通りって言っても一般的レベルで)

私は幸せになることが許されていないんじゃないか?

 

と思ったから。

 

例えば子どもの手が離れたら、何になりたい?

 

私は社会人になりたいかな、って思った。

ザOL!みたいな時代がなかったから。

 

でも、

一度はなろうと思ったことがあって、

21歳の時勉強して医療事務の資格をとった。(これはOLというより、フルタイムで仕事したいという感じね)

 

でもそれが達成する寸前に、一緒に住んでた彼が地方に行くことになり、

結婚してついて行くことを選んでしまった。そこから転勤族が始まった。

果たしてこれは正解だったのか?

 

 

今思うと、

子供いない時代にもっといろいろやっておくべきだった、と思う。

 

このあたりが、

私の闇ではないかと思う。

どうポジティブ変換というか

意味合いを自分の中で変えられるかが鍵。

 

社会人になりたい

という夢はあるが、今すぐにはなれない。

 

仕事はしたい。お金稼ぐのもあるけど、専業主婦で終わりたくない。

 

じゃあ今は何をしたらいいんだろう?(休むことだよー)

 

私は休むことに罪悪感を感じるね。

何もしていない自分を許せないでいる。

自分に厳しくなりすぎかな、って思うけど

「親として」って立場を考えると、だらける気にもなれないのが本音。

 

この状況を一体どうやったら打開できるのか?

 

このカウンセリングを半年間くらい受けてだいぶ自分を客観的に見られるようになった気がする。

 

私には案外転勤族は向いていて(飽きっぽいから)

誰か(主に家族)のために一生懸命になるのが私らしいところ

なりすぎて自分が壊れたら短所ですが

ある程度頑張っているのが、自分の好きなところ。

 

長所と短所は裏表。

 

通院こそしていたものの(薬も飲んでいましたが)

専業主婦としてはようやく普通の生活ができているなと思いました。

 

 

・・・まぁ、そこへ辞令がやってくるわけですが。

 

本当に

我が家には【飽きる】ということは無縁だなと思ったよ(笑)

 

次の引っ越しでは、

私はうつ病を言い訳にすることを封印しました。

 

具体的には

保育園をやめて幼稚園にすること、つまり春休み、夏休みといった長期休暇を受け入れること。

そして小学校の役員には「持病がある人は免除」という特典(?)があるのだが

それも使わないということ。

 

しかしその結果、見事に役員に当選します。

まさか170分の1の確率に当たるとは、もはや笑えました。

そして悔しくて、泣きました。(実話)

 

なんで私ばっかりこんなに大変なんだーーーー

私が何か悪いことをしたっていうのか?

 

できる限り精一杯、子育ても、家事も、転勤も、引っ越しも、やってるつもりなんだけどな。

まだ努力が足りないのか?

じゃあ一体どうすれないいんだよ?

猫の手も借りたいよ。

 

母親の負担を減らすには、子供を自立させるのがいいとは思うけど、

一朝一夕にしてできるワケもなく、

教える人と、それ以外の子供を見ている人が必要。

ついでにその間の家事はストップ。

猫さん、手を貸してよ。

 


結局、この時は転校した小学校がとんでもなくて、

 

そうこうしているうちに旦那の会社で希望退職者の募集が始まって、

私たちは会社辞めて、転勤族も終わりにすることを選んだんだ。

 

経済的には不安だらけだけど

貧乏と引き換えに、転勤のない暮らしを手に入れるんだ!

 

この退職と引っ越しが2016年の3月。


翌4月から子どもたちは中1、小5、小1になりました。