明日できることは明日でいいのです!

カサンドラ症候群でも幸せになりたい

うつと仕事

うつを発症したのが2011年。

すでに5年経過して2016年に転勤族をやめて、地元の県に引っ越しました。

 

通院はずっとしていました、薬も増減はあってもゼロになったことはありませんでした。

うつ病って治ることはないんじゃないか?って思ったよ。

 

 

でもね、前ほど完璧にやらなきゃやらなきゃ!って力むことはなく、

授業参観をドタキャンしたりする図々しさを持つことができました。

 

だって、授業参観に行かないからといって、学校に協力しませんっていうことではなく、

自分ひとりが行く行かないって、全体にはあまり関係ないことだよね。

 

このあとは転勤もないことだし、

私も手に職をつけようと思っていて、

いろいろ考えたりしました。

 

新学期始まってすぐは、もう夏休みがすぐなので

じゃあ夏休み明けから仕事を探そうと。

 

なんだかんだで、専業主婦時代と比べると子どもから目を離さなくちゃならないわけですから

いろんな意味で難しかった。

何しろ、まわりが(旦那も子どもも)私がなんでもやるので普通と思っているから。

 

2016年9月から工場の社員食堂で働くことになりました。

結局、飲食業なのはやっぱり時間がちょうどいいから。

子どもが学校に行ってる間になるし、放課後には帰れるし。年末年始やお盆などの長期休暇は休みだし。

 

ファミレスの厨房はせいぜい3人だったけど、

今度のところは一緒に働く人が多いので、合わない人がいてもそんなに気にならないのでは?って思った。

 

 

それに一緒に働く先輩勢は

「子供が中1?うちの孫と同じだわ」

「37歳?娘より若いじゃないの!」

昭和のお母さんたちって感じ。(全員女性です)

 

仕事がとても忙しい日もあるけど、必ず終わるから!

 

お客さんも、昼休み終わっちゃうと帰るからし

終わりのない、子育てエンドレスより 全然いい!←日本語正しくない

 

そしてお給料ももらえる!なんと素晴らしい!

良かった点としては、週5なので生活リズムが作りやすかったこと、主婦の経験が生かせること、お客さんは優しかったこと。

 

しかし雲行きが怪しくなってきたのは家庭内のほう。

旦那は転職してからイライラすることが増えて、

そりゃあそれもわからないでもないけど、

だからって家庭で当たり散らすのもどうかと思う。

 

少なくとも親なんだから、節度を持ってほしいものだわ。

 

そして、職場のほうもデメリットが少し遅れて目立ってくる。

 

昭和的な雰囲気で、たとえて言うなら昭和時代の中学みたいに

先輩を立てないといけないだの、

先輩より先にトイレに行ってはいけないとか、

学校行事で休んだり早退したりする日は賄賂が必要とか、

飲み会に行かないとハブられるとか、

オイオイ、今は平成後期ですけど?って感じ。

 

極め付けはエイジハラスメント(エイジ=年齢)

 

力仕事は若い人がしなさい、年寄りにこんなことさせるの?!

 

うーん・・・それって多少はわかるけど、

若手の仕事が半端なく多くて、マジで不公平。

 

なのに「みんなやってきたことだから」って

まさに古き悪しき伝統やん!

苦労自慢大会かい!

簡略化できるものはして、経費節減、自分より後には気持ちよく働いて欲しいと思いますけどね?

 

年寄りにこんなことさせるの?って

週に何回も言われて心が折れた。

 

中学なら3年間で卒業するからまだマシ。

ベテラン勢は、10年20年と働いているし。

 

そういう人は子どもなんてとっくに独立してるから

働く目的は「暇つぶし」

 

社員食堂ともなれば、不況知らずというか、営業戦略とか努力とか、そんなことを(ほとんど)考えなくていいのです。

そりゃ辞めないよね(笑)

 

 

「何がわからないのか、わからない」このセリフ何度思ったことか。

 

なのに、「ちゃんとやって」「ちゃんとして」って怒られてばっかり。

 

あのね、価値観違うから、ちゃんとした状態がよくわからない上に

ふざけて仕事したことは一度もない。

 

歯を食いしばって、無口になるのが精一杯。

 

くじけるな 傷ついている 暇はない

なーんて一句を読んだりしたさ(笑)

 

仕事だから とりあえずがんばりましょう♪

この曲も大好き(笑)

 

なんとかポジティブ変換しようとしてみたりして、1年4ヶ月が経過しました。

 

2018年1月。

関東に大雪が降りました。

 

キャ~雪かきしなきゃな~なんて言いつつも、やっぱり雪が降るとはしゃいだ気持ちが出るね。

子どもと一緒になって雪だるま作ったり、オラフ作ったり~なんて楽しんでいたら

 

その日の夜から、全身に痛みが出るようになった。

あまりに突然で、最初はインフルエンザを発症したのかと思いました。

しかし熱はなくて、いろいろ工夫してみたんだけど一向に治まらず

関節リウマチじゃないかと思ったくらいですが、内科で検査するも異常がなく

整形外科で「線維筋痛症だろう」と診断されました。

 

特に腕に激しい痛みが出て、重いものを持つこともできず、ペットボトルの蓋も開かず。

 

このとき、パートでありながら雇用保険に入っていたのも幸いして

パートは辞めて、失業給付をもらいながら

力仕事でない仕事に転職しようと思いました。

 

この大雪の日に症状が出てきたのは、

きっと今まで自分でスルーしていたストレスが、実はもう限界でした、と出てきた瞬間だったんだろうなと思いました。

 

そうはいっても、事務職の就職も厳しい。

何しろ私は高卒なので、学歴ではじかれるものが結構あった。

それに事務職の経験はない。

これまで節約主婦として、お金の管理だ、ワードだエクセルだ、といろいろやってきても

しょせんは自己流。そしてうつ病持ち。

とりあえず、資格も持っていたし、前からやってみたかった医療事務職に絞って、仕事を探しました。

 

ゴールデンウィーク明けの頃になって、ようやく短期派遣が決まりました。

オー人事の会社です。

 

紹介予定派遣ではなかったけれども、

結果的にそれがご縁となって、なんだかんだとありましたが正社員で就職することになりました。

ちょっと引き抜きに近い感じだった(笑)

 

私、持病がありますけど って言ったのですが

コントロールできているのであれば問題ないと言われました。

 

この時の仕事は、わかりやすく言うとオープニングスタッフのような状態で

そこのお局は、いなくて、他のメンバーと作り上げていくという感じになって居心地は良かったです。

 

じゃあ体調は良かったのかというと、

ちょうどこの頃、長男が中3・受験生の母でして、それはそれで大変ではあったけど、

 

家庭や育児にのめり込みすぎないために仕事があって良かったと本当に思いました。

 

それに働いた分の給料は出るというのが嬉しいね。

家事も育児も役員も自治会も、全部無報酬ですから。

常勤だと年末年始とかあっても給料減らないのも嬉しいね(時給制だと減るよね)

 

なんとか受験戦争も終わり、高校生の母にもなった、

ということはつまり、小中高のトリプルの母でもあることを意味しており

「充実している」と「多忙」のどちらでもあるような日々を過ごしていました。

 

この仕事を始めて通算で1年3ヶ月ほど経った頃、

別の部署の社員が、旦那の転勤で引っ越すというので辞めることになり、私に異動の打診がありました。

 

今まであれだけ激しい転勤族が普通だったので、同じことばかりでは飽きてきていた気持ちもあったし、

できることを増やしたかったし、新しいことをやってみたかったので

そのお話を受けることにしました。

(しかし、そのデメリットは深く考えていませんでした)

 

いざ新しい仕事の担当になると、

前よりも責任のある仕事なので、光栄ではあるものの、

私って人と会話したり、挨拶したりするのが好きな性格なので、

前の仕事は1日50回くらい挨拶~会話しながら対応、みたいなことをやっていたのに

新しい仕事はひとり黙ってハンコを押すような仕事。

 

あれ? こんなはずでは?

 

たまに電話対応、窓口対応があったりしても、(立場が上になるとあるあるで)クレーム処理のようなことの担当状態!?

そりゃあ、たまーに感謝されたりすることもあったけど、本当にたまーにになってしまった。

 

そして

一緒に働く上司。

うん。ご想像の通り(笑)

 

お局というと違うかもしれないけど、

まぁ私よりも年上の女性で、この業界の経験は長い方で

機嫌の良し悪しが激しい人で、自分に理解のできないことは非常識!って思う人。

 

もう1人は定年間近だったので、後継者に私を欲しがってくれて、

それはそれで光栄だったけど、出世欲や焦りにもつながってしまった。

 

そして運命の日。

仕事から帰宅途中に駅の階段を踏み外して転落し、足を剥離骨折してしまった。

 

松葉杖生活になり、仕事はお休みすることになったが(通勤災害)

まもなくの季節、仕事が忙しくなる時期で、1年の一大イベントといってもいいくらいのことを控えている時期だった。

 

元部署のほうからも、去年を知ってる人物として応援に来てほしいと言われており、

私がやらなくちゃ!(よせばいいのに・・・)

 

仕事は何やってる?

事務です

じゃあできるんじゃないの?

整形外科の医者はこんな感じだった。

 

でもさ、よくよく考えたら、

まずは通勤が電車ですよ?満員電車を松葉杖って無理じゃない?

足を踏まないで下さい、って無理じゃない?

 

それに仕事中だって、パソコン前に座るだけで完結するわけもなく、

事務仕事のみでもプリンターやコピー機へ行ったり、

ハンコのある場所まで取りに行ったりしなきゃならない。

両手は松葉杖でふさがっているのに?

 

お昼は休憩室まで移動しなければならないし、

そもそも事務服で仕事するわけだが、両手松葉杖でどうやってスカートに着替えるの???

 

なのでね、

もしも、この状況をやり直せるのなら、

 

松葉杖2本のうちはやめておけ!!って思う。

せめて杖1本になっていれば、片手が空くから仕事になるけど

両手杖のうちは休んどけ!って思いました。

(どうせ労災で休業補償出るし)

 

なのに私はようやく固定が外れた頃に復帰してしまい、

人から「大丈夫?」と連呼されるのが辛く感じるようになってしまいました。

(会社が行きのみタクシー代を出してくれました。でもそれが負い目に感じてしまいました。)

 

でもさ、休んでいた人が松葉杖で復帰したら「大丈夫?」って言うよね。

それで普通だよね・・・

 

「大丈夫?」って言われても

 

「あなたに言って何になる!?」とか頭に浮かんできてしまって、

いやいや、この人は心配して言ってくれてるのに

なんて冷たいこと考えてるんだろう、

と、どんどん自分を責めるようになってしまった。

 

そして極め付けはお局さん。(面倒なのでお局さんと呼びます)

 

私が復帰して1ヶ月くらいの頃、

このお局さんは仕事を選びやがりまして、自分がイヤなものの担当になりそうになったら

ズル休みまでして、熱があることにしといて~

って。

 

もちろん不満に思ったけど、何も言えません。

自分だってケガでさんざん休みましたし、

先輩に対して余計なことを言ってしまうと自分の立場が危うくなることもわかってたからね。

 

この頃から耳がよく聞こえすぎたり、電話対応が辛くなったり、朝が起きられないなどの症状が出てきました。

 

しばらくして、今度は仕事中に動悸が激しくなって1~2時間治まらなくなる、

今、何をしようとしていたのか思い出せなくなることが多発し、今までしなかったようなミスが急増する(何故ミスをしたのか自分でもわからない)

家事ができなくなり、今までどうやって家事と仕事を両立していたんのかわからなくなる、

などの症状が出てきました。

(もうすでにヤバイですね)

 

朝、電車に乗って出勤しようとすると、

あと1駅で職場に着くというところで、突然動悸やめまいが始まったり。

 

ついには家から出られなくなり、仕事に行けなくなりました。

 

この時点で休職していれば、まだマシだったかもしれませんが、

3日休んだら気力を振り絞って出勤してしまいました。(やめとけー)

 

上司2人と面談して、できることをやれば良い、できないことは今はやらなくて良い、との言葉をいただきましたが

(この上司はメンタル疾患に理解があったんだなと思います)

 

その2人が休憩に行っている最中にお局さんが

「なんなの?あなた。

仕事来たり来なかったり。

私は何も聞いてないんだけど?

だいたい仕事選ぶなんて社会人としてどうなのよ?」

 

って言われました。

 

確かに後から思えば、お局さんに対して気配りがなかったなとは思いますが、

そんな精神状態の時にそんなことができるはずもなく、

本当にトドメを刺されたと感じました。

 

悔しい、怒り、ショック

その日はどうやって家に帰ったか覚えていなくて、アイキャンフライしなくて良かったです。

 

次の日から休職。2019年12月のことでした。

 

実はこのとき、精神科の主治医が、自身の入院を控えていて、

動悸が出始めた頃からかなり体調が怪しいと思っていたんだけど、

適当に済まされていた感が否めない状態で、

結局、休職の診断書は代診の先生に書いてもらったんです。

 

期間は主治医が戻るまでにされたので最初は1ヶ月だったけど

当然1ヶ月やそこらで治るはずもなく。さらに3ヶ月延長の診断書をもらいました。

 

休職してすぐの頃は

「もう仕事行かなくていいんだ」という、アドレナリン出てる感?で頑張れたんだけど(これ以上頑張るな!)

1ヶ月経つ頃には、さらに体調が悪くなって電車にはまったく乗れないし、駅にも近づけない、

なのに通勤定期を解約しなきゃならなくて、真冬だというのに汗だくになりながら済ませたりしました。

 

動悸が激しくて電車に乗れないのはパニック障害でしょう、とのことで

抗うつ薬セルトラリン)も主治医が戻った頃から飲み始めました。

効果出る前に副作用が出るというお決まりのパターンも体験しました。

 

2週間ごとに増量していき、

ようやく少し効き目を感じるようになったのが2020年2月末。

 

・・・うん、

新型コロナウィルス拡大防止のため、全国の小学校中学校高校が一斉に臨時休校します、って発言があった、あの頃です。

 

仕事を休んでいて良かったとも思いましたが、

裏を返せば、病気で休職しているのに、子どもたちは毎日家にいるという明けない春休みがきたかのように、

負担が増えました。

 

当然、気が休まるわけがありません。

 

経済的には4月くらいに復帰したいと思っていましたが、無理ですね。

4月には緊急事態宣言も出て、さらに自粛自粛って、

私は震災の頃を思い出さずにはいられなかった。

 

さらに診断書は延長になり、4月の時点で支店から「次はないと思え」と言われました。

朝から2時間ウォーキングなんてしてみたけど、1週間しか続きませんでした。

 

その次は電車リハビリを兼ねて、

(ちょうどゴールデンウィークに入ったので)祝日のすいてる電車に乗る訓練をしてみました。

職場だったところまで行って帰ることもしたけど、

帰りのホームの下り階段が・・・・フラッシュバックしてしまい、

電車リハビリは2日しかできなかった。

 

その前後、

主治医に「会社から次はないと思えと言われた」と話すと

 

いつまで休むことができるのか?権利を確認しなさい、

退職しなければリワークプログラムが利用できるのに

と言われました。

 

リワークプログラムって何ですか?

 

それが私とリワークの出会いだった。

 

ゴールデンウィークが明けて、

会社は

「休職は12ヶ月まで可能」だったということが判明。

 

えー次はないって何だったの?

(こういうことがあるから、言った言わないじゃなくてできるだけ就業規則なりキチンとしたものを確認しようね)

 

そして1番近いリワーク施設に問い合わせしたら

緊急事態宣言が出ている間は、新規の受け入れは停止中とのこと、

宣言が明けても何人か待機している人がいるとのことでした。

 

コロナうつになってる人も多そうだよねって思った。

 

2つ目に近い(といっても電車30分くらい)リワーク施設に問い合わせしてみたら

新規停止していないとのことで見学に行き、紹介状、初診、参加決定、自立支援追記、診断書再提出と

トントン拍子に進んでいきました。

 


次回からは、話はちょっと変わって

ここまでをもとに

リワークで学んだことや良かったこと、悪かったこと

そして2回目の休職から今に至るまでを

少しずつ書いていきたいと思います。