明日できることは明日でいいのです!

カサンドラ症候群でも幸せになりたい

復職してからの1年

これまでに、うつの対策やらリワークで学んだことなどをさんざん書きましたが、

結果的に、1年半で再発しました。


ここで言う再発というのは、イコール休職 と考えていただいて構いません。

うつとは、もう10年以上のお付き合いで、

私の中ではもう完全に治ることはないと思ってるくらい。


けど、うつを持ちながらも、働くことはできると思っていましたが、

再びドンヨリーヌに支配されるようになってしまい、2022年6月より再休職となりました。


どうしてそうなってしまったのか・・・

 

正直、自分でも触れたくない部分ですが

振り返ることで、気づくことや原因もわかってくるかな、と思ったので

2回目の休職エピソードとして振り返っていきますね。

 

 

2020年、コロナ禍真っ最中でしたが

6月から11月まで半年間、リワークに通いました。

 

そして、2020年12月に同じ会社だけど、それまでとは違う現場にパートとして復帰しました。

 

そこを、今後わかりやすくするためにAとします。

(A以外にも同じ施設内に、同じ会社の委託業務はいくつかあります)

Aで働く、私と同じ立場の人は全部で5人、

全員パート主婦で、扶養内で働く、私より年上の女性でした。

(私は扶養外)

5人もいますが、通常は午前は2人、午後は1人で業務するものです。

 

・・・やはりどこへ行っても人間関係には苦労しますね。

 

私より年上女性、ってことは

正直いって「元祖昭和女」なワケですよ。


ま、こればっかりは仕方ないけどね。


相手を選ぶことはできない、

相手をどうにかすることはできない、

 

苦しい中で、変えられることは何か?

 

ま、自分の考え方、気の持ち方だろうね。

 

Aでの仕事を始めてようやく1ヶ月経った頃

私は仕事でミスをしてしまいました。

 

すごく責められたし、

すごく落ち込んだし、

もう立ち直れないともその時は思った。

 

 

けど、そこはさすがにリワーク卒業直後。

 

「自分がいけない」

ということは、一旦置いといて、

「何が」いけなかったのか?

を冷静に考えてみた。

 

その結果、自分のせいだけではなく、いろいろと、仕組みが悪いとか、この書き方が悪い、といったことに気づいたの。

 

もちろん、自分1人の力で、すべて改善することはできないので

気づいた中で自分にできることは・・・って考えて

 

その結果、私は仕事を覚えることをやめました。

 

覚えること、というか「暗記すること」をやめたの。

 

よく考えたら、テストじゃあるまいし、

何も見ずに仕事しなきゃいけないなんて決まりはないよね?

 

だったら、その都度チェックリストを指差呼称ように仕事したらどうよ?

 

(それを当たり前にやっている職種の方、今さらごめんなさい。)

 

求められているのは、

「何も見なくても仕事できる私」ではなく、「ミスのない仕事」なのです。

 

なので、

この仕事方法は、Aで仕事をしている限りはずっと継続していました。

Aは特に毎日の流れがほぼ決まっているので、この方法は特に合っていました。

 

こんな仕事ぶりで、半年後にはようやく1人業務も任せてもらえるようになりました。

 

 

1人だとその場で間違いを教えてくれる人もいないので

私で大丈夫なのか?

 

不安もあったけど、そういう時は現場全体を俯瞰してみて、

 

現場は回っているのでよしとしよう

 

私の失敗やミスのせいで現場が大混乱や大ダメージは起きていない。

 

小さな失敗もあるけど、人間だもん、いつでも完璧でいる必要はないよ

と自分に声をかけてあげました。

 

おかげで、まぁまぁ平和な日々が過ぎていきました。

 

 

職場復帰して8ヶ月ほど経った頃

現場責任者 F氏(年上女性)に呼び出された。


Aは5人もいて正直、人が余っている。

人手の足りない部署も手伝ってくれないか?

というもの。

 

この時は、B(仮称)を手伝うという話だった。


なのでこの時も即答はせずに

メリットデメリットをよく考えて、不安なことは質問をし

現場見学もさせてもらったうえで

やりますと言いました。

 


ぶっちゃけ、Bは思いっきり、いわゆる接客だ。

サービス業出身の私にとっては得意分野で好きな分野。

 

不安がありつつも、最初の2回は先輩と一緒に研修がてら一緒にやって

流れ覚えていこうよー

そんなに難しい仕事じゃないしさー

ってことで。


・・・・しかし、

ウソのようなホントの話。


私がBの初日に、クラスターが発生した。

これが2021年夏の話。


その日はとにかく頭を下げて、

「今後どうなるんだ?」と詰め寄られても、


「私たちにもわからないんです。急に今日決まったばかりで・・・」と答えるしかなく、

今後の対応はみんなで試行錯誤していった。

おかげで、自分の会社以外の職員たちとも少し仲良くなれて、顔も少し広くなった。

詰め寄られた、と言ったが、大半の人は理解を示してくれて

「こんな大変な時にありがとうね」などの言葉がけをいただいて救われた。

 

しかし、

クラスターが広がっていく様子には、終末期な気分を感じたのも事実。


私は医師や看護師ではないので患者を直接みたわけではないけど

状況はわかってしまうところには居たので

今まで「ただの、流行しているもの」だったコロナが、一気に身近なものとなった。

(しかし、身近なものとなったあとは、得体の知れない恐怖ではなくなったのも事実)

 

もともとの部署であったAは、逆に、暇すぎて死にそうになった。

人間は忙しすぎてもダメだけど、暇すぎてもダメなんだなとつくづく思った。

 

8月末頃にはなんとか終息し、少しずつ日常を取り戻していった。

あとから振り返ると、

この8月は、やはりストレスマグニチュードがそれなりのものだったんだと思う。

9~10月頃には毎日のように頭痛がして、イブプロフェンを毎日飲んだ結果

大量の血便が出てしまった。

さすがに、よからぬことを考えた。

 

けど、仕事休んでまでは病院には行かなかった。


休みの日に消化器内科クリニックに行って、胃カメラ、大腸カメラもやった。

でも異常はなかった。


(鎮痛剤による薬剤性の出血性腸炎だったんだろう、しかし診た時にはもう治ってた?という結論となった)

10月になると、クラスターの影響は完全終息とのことで、

Bは通常業務となった。

 

案の定、大忙しで、

1日(5時間)で300人相手に受付することもあった。


忙しくて大変だったが、充実していたし楽しいとも思えた。

やっぱり人と話すのは好きだなと思った。

 

気づいたら12月になり、復帰して1年が経っていた

Bでは、年末年始も働くが

パートなので給料の割り増しはない。

それはあらかじめ代休をとれば、休日に出勤させても違法ではない、とかいう法律があるらしい。

さすがにそこにはちょっと不満があったけど、

その不満は、当たり前のように年末年始が休みになるAのメンバーに対してだったのかもしれない。

せめて
「年末年始も出勤ご苦労さま」
くらいの一言があっても良かったのにな・・・とは思えた。